SANADAびいきなプロレスブログ

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバーSANADAの応援ブログ。偏ってます。SANADAがIWGPヘビー級シングルのベルトを巻くのが私の夢です。

【飯塚高史引退...|新日本プロレス】

 

 

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(出典:新日本プロレスワールド)

あ゙ぁあ 飯塚高史引退 (´;ω;`)

私にとって、ここ数ヶ月のどんなニュースよりもショッキングな発表でした。

 

www.njpw.co.jp

 

2019年2月21日(木)『NEW JAPAN ROAD』後楽園ホール大会が、『飯塚高史引退記念大会』となる模様です(涙)

 

飯塚の最後の勇姿までは、あと一ヶ月半ほどあります。

ですが、この記事を書いている今、すでに涙がこぼれてきました(☍﹏⁰)。

 

だって、飯塚のこと、若い頃から見てきたから・・・

 

ハンサムでスタイル良し、実力もあるのに、闘魂三銃士(武藤敬司・橋本真也・蝶野正洋)、ハセケン(馳浩・佐々木健介)の影に隠れ、なかなか目立たなかった飯塚孝之(旧リングネーム)。

 

武藤敬司に負けず劣らずの派手なピンクのショートタイツで、『ブリザード・スープレックス』(北海道出身だから)を放っていた頃が懐かしい。。

 

ameblo.jp

 

...こんな思い出もあります。

90年代初頭だったかな、人気絶頂の武藤敬司が自信を喪失し、しばらく新日本のリングを離れたことがありました。

そのきっかけは、当時、武藤が格下扱いしていた飯塚孝之にドラゴン・スープレックスで敗れたことだったと記憶しています(間違っていたらすいません)。

 

その後は野上彰(AKIRA)との『J・Jジャックス』

 

 

blogs.yahoo.co.jp

 

やっぱりパッとしませんでした(笑)

 

その後は、平成のテロリスト・村上和成との抗争など格闘技路線で活躍。

この時生まれたのが「魔性のスリーパー」でした。

 

 

 

...武藤敬司ファンだった私、武藤が全日本に移籍したあたりから、飯塚高史の記憶は一旦途絶えます。

 

そして、いつの間にか、今のとんでもない姿に(笑)

 

レスラー人生で、これだけキャラクターが一変したレスラーって他にいるでしょうか?

 

 

地味だから、不器用だから、いつも主役になれなかった。

 

そんな飯塚が豹変し今の姿になってからは、いつも会場を盛り上げてくれた。

 

ベビーフェイスからのヒールターンはよくあることです。

 

でも、甘いマスクだけど地味な飯塚を知っているだけに、これだけ変われる飯塚の「覚悟」「プロ根性」には、感服する他ありませんでした。 

 

 飯塚高史は最後までトップスターにはなれませんでした。

 

でも、プロレスファンの「記憶」に残るレスラーになりました。

 

地方でも変わりなく、暴れ回って会場を盛り上げてくれる飯塚高史。

 

感謝の言葉しかありません。

 

 

 

...「地味」「不器用」、私がよく他人に言われる言葉です。

 

自分の主張をするのが得意じゃないから・・・

目立たないから・・・

器用な生き方ができないから・・・

 

飯塚高史に少し自分の姿を投影させる私。 

 

1986年にデビューし、スター選手ではなかったけれど、今はこうしてファンに愛され、引退を惜しまれているプロレスラー飯塚高史の生き様に感動しました。

 

飯塚高史ありがとう!

そして、新日本プロレス、記念大会ありがとう!

 

飯塚さんの最後をこの目に焼き付けますよ!

 

 

・・・最後、彼の言葉を聞きたい。

 

 

どんな記念大会になるのか本当に楽しみです。

 

See you next time!